竜電と家康公の甲府御前大相撲大相撲初場所。甲府出身の力士、竜電(高田川部屋)が10勝5敗で新入幕場所を終え、三賞の一つ、敢闘賞を受賞しました!!インタビューでも地元山梨のという言葉が出てきて、やっぱり、そんな場面でその言葉を聞くとグッときますね。三賞は横綱や大関以外の本場所で活躍した力士に与えられる賞で、殊勝賞、技能賞、敢闘賞の3つの賞があります。その一つ、敢闘賞は敢闘精神あふれる相撲を見せた力士に送られるものです。竜電が今回目標にしていたのが三賞の受賞。竜電が勝つたびに、おっ!おおおっ!とワクワクしました。郷土の力士が勝つととてもうれしい!!!竜電は「甲府大使」にもなっていただいてます。甲府大使制度は、様々な分野で活躍している方を通じて、本市に関する情報を発...2018.01.29 05:42こうふいろいろこうふいまむかしこうふのまち
当たり前が当たり前でない事を知る。みんなのもの。驚きました、この2枚の写真に。チョコレートの看板を付けた飛行機。子供ジープってかいてある小屋。電車。どこかの遊園地のように見えますが、この写真をみて驚かず、ただの昔のどこかの遊園地と思う方は山梨県をあまり知らない人かもしれません。2017.11.02 08:34こうふのまち
まちの移り変わり・町名ところどころ その③「しばらくすると、その南、一条小山には、白壁陽に映えて、まばゆいばかりのお城が空にそびえ…」昭和13年に甲府市教育会が発行した「甲府郷土読本」の16章「町名ところどころ」不定期ブログ3回目は、武田城下町から徐々に舞鶴城、そしてその南に広がる甲府城下の町名が出てきます。2017.09.22 12:59
まちの移り変わり・町名ところどころ その②「さて時の移りに従って、すべての物は動いて行くものである」 まちの中心が移った時の変化は、おそらく今の我々が想像することができないものだったと思います。「あそこにお店ができてまちが開けてきたね」なんていう事とは次元が違う。今の私達が生きるのはまちを動かし、住むことも強制する世界ではないのですから。 武田信虎は続く内乱を制し、1519年に本拠地を甲府市の川田町のあたりから新たに築いた躑躅ヶ崎の館へうつしました。地域の豪族など有力国人層の城下集住を成し遂げました。これが甲府の誕生です。2017.09.07 12:00こうふのまち
黒平の能三番と石橋の予習。「諸説あり」事物の起源をたどると、この言葉がよく聞きます。書物なり、なんなり、記されたものがあればそれが起源として認められています。今なら真実がどうかは別としてネットに書き込まれている事がのちの世の証明になるのでしょうか。甲府市の居住区の最北部に位置する黒平(くろべら)町。2017.08.16 06:45こうふ開府500年のイベントのこと