当たり前が当たり前でない事を知る。みんなのもの。


驚きました、この2枚の写真に。

チョコレートの看板を付けた飛行機。子供ジープってかいてある小屋。電車。


どこかの遊園地のように見えますが、この写真をみて驚かず、ただの昔のどこかの遊園地と思う方は山梨県をあまり知らない人かもしれません。

どこなのかが問題です。


よくみれば、左上に、見慣れた謝恩塔。

舞鶴城公園に遊園地があった事、知っている方いらっしゃいますか?

現在、本丸と呼ばれるこの場所


ここに遊園地があったと聞いたことは一度もなかったので驚きでした。

今は芝生が広がっています。こんもりしている下には出土した瓦など、ここを再生整備をされたときの遺構が埋まっているそうです。


調べてみると昭和27年(1952年)4月10日から6月10日に開かれた山梨平和博覧会の時撮影されているようです。

70歳くらいの人達が5、6歳のころですので、覚えていらっしゃる方いるかも知れません。

2か月間だけの移動遊園地です。移動遊園地とは、まるで海外のどこかの国のようですね。


驚いたのはこれだけではないんです。

こちらは、ぴかーっと光る舞鶴城公園、昭和3年の写真です!山梨電気博です。



謝恩塔をライトアップしてます。昭和3年、今から90年前にこうやって夜景を楽しんでいたなんて!

本丸の北側には 武田信玄公一代記 大パノラマ館があって人を呼んでいたようです。 入場料5銭!


今でも見事なほどに桜が咲きお花見スポットになっている舞鶴城公園ですが、昭和初期には、桜のシーズンになると、公園の中に屋台が並び広場には小屋が立っていたそうです。

旅芝居や旅芸人の見世物小屋ができ、甲府の人たちは毎年春を楽しみにしていたらしいです。


これらの写真を見ると、ああ、昔から舞鶴城公園は市民の身近な場所だったんだな、っていう程度で終わってしまいますが、事実は違います。


甲府の歴史年表、明治37年の記述。

甲府城跡を開放して舞鶴城公園とする。と。


城開放。


そりゃ、そうですよね、特権者のお城だったわけですから。庶民が入れるわけもありません。


舞鶴城公園の地は古くは一条小山城。江戸時代は柳沢吉保が領し甲府城と言われるようになりました。

舞鶴城とだけでなく、甲陽城、赤甲城、錦城など、風流な呼ばれ方もしたそうです。


明治6年に藤村紫朗が県令に着任した後にお堀を埋め立てその跡を払い下げてまちを作り、お城の中の規模がどんどん縮小されました。

甲府中学校も建ち、

一部を中央線の敷地とし、明治36年中央線が開通しました。

これは当時の絵図です。

手前にお掘と城内らしい松の植栽、そして駅の向こう側、北口にも石垣やお掘らしい様子が見えます。お城を突っ切る形で中央線を通したんですね。


当時、市民の憩いの施設は遊亀公園しかありませんでした。

そこで山梨県は明治36年にお城を一般に開放し、明治37年に舞鶴城公園としたのです。



開放から2年後の明治39年、舞鶴城公園で明治期の最大のイベント、「一府九県連合共進会」が開かれました。

詳しい資料と詳細は峡陽文庫に載っていますので、こちらをご覧下さい。

この時、今の天守台の所に白亜の天守閣を作り、来県する多くの人を喜ばせたそうです。



天守台に天守閣。面白いです。ハリボテですって。でもそれが面白いんだと思います。


夜はライトアップまでしていたそうです。今から111年、明治39年です。

100年以上前の甲府の人達はさぞかし盛り上がった事でしょう!



現在に戻りましょう。


今年の8月11日。小江戸甲府の夏祭りの時の様子です


今ももちろん、信玄公まつりをはじめとしてたくさんのイベントがあります。

最近では野外で映画を楽しむ会も!

この開催期間中は、驚きの季節外れ台風が来ていて、中止になった日もありましたが、日常の中に溶け込むイベントで非常に心地よかったです。

ワインを楽しむイベントも!




甲府の人、山梨の人にとって当たり前に入れなかったお城という場所が、

みんなの場所になって、公園になった頃、その場所を使い倒していた事実。


甲府市民、山梨県民にとったらこの場所は、歴史的価値と共に、集い、憩い、そして楽しむ場所なんです。

戦前の写真、江戸が終わった直後の写真と比べても石垣も、佇まいも整然としてて、現代のお城公園になっている舞鶴公園。そのなかでもできることは何かあるかなと思うのです。

証拠の写真や文献がないから、史実に忠実にでないとか、財政とかいろいろと今は検討することも大変そうです。

でも

時にはハリボテ天守閣を建てたり

芝居小屋を建てたり

お花見の時は騒いだり、ここにお茶屋があっていつでも飲食もできたり

遊園地があったり。


そんなちょっと前の同じここに住んでいた人達が楽しんでいた様子がわかると、

うらやましいって思うんです。

昭和の終わりごろから平成という時代がそうなのですかね?

色々規制したり、秩序を求めたり

やけにスマートになって、

みんなのものという名のもとにみんなの楽しさから逆に遠ざかるような、

そんな時代の流れになってるような気がします。

時がたてばたつほど、発想とチャレンジがなんで小さくなっているんだろう。

っていう事をたまに思うんです。



なんのためにお城を開放したかを考えれば、

せっかくみんなのものになったんだから、やっぱり使い倒す!っていうのが

本来の甲府の楽しみ方かもしれません!

KOFU500 Heritaging

2019年に500歳のお誕生日を迎える甲府のまち。 歴史と今をこうふコンシェルジュが勉強していくっていうページ。 「こうふ開府500年公式ホームページ」のこれは影武者サイトです♪ なかなかない機会なのでこの際、いろいろ楽しみたいなーって思っています!一緒にいかがですか? 甲府にある味わい深い、建物や場所、時代を超えて価値あるものを紹介します!歴史の事でない、「今」ももちろん!