※2019年に書きました。
今週末に迫ってまいりました信玄公祭り!世界最大の武者行列、今年は旗に注目してみてみませんか? 毎年、空高く旗がひらめくその様子に私は心惹かれ、パシャパシャと写真を撮っています
もちろんお祭りですのでそれぞれレプリカですが、本陣の旗は由緒由来のしっかりしたもの。それぞれの意味、由来を調べました。
まずは「日の丸の御旗」 なぜ日の丸を信玄公が?と思いますよね。
こちらが本物です。
(雲峰寺所蔵 写真は【戦国の世を駆け抜けた名将武田信玄と軍師山本勘助「風林火山」】より)
こちらは天喜4(1056)年、源頼義が後冷泉天皇から下賜されたものです。
武田家の祖、新羅三郎義光はこの源頼義の3男。以来「楯無鎧」とともに甲斐源氏の総領に受け継がれ「日の丸の御旗」が神宝とされてきました。甲州市塩山の雲峰寺が所蔵し「日本最古の日の丸」と言われています。そんな由緒のある日の丸ですから、皆さま、要チェックです
続いて朱赤の細長い旗に「南無諏訪方南宮法性上下大明神」と金で書かれているこの旗。
(雲峰寺所蔵 写真は【戦国の世を駆け抜けた名将武田信玄と軍師山本勘助「風林火山」】より)
こちらは「諏訪明神旗」「諏訪法性旗」と言われています。同じく雲峰寺が所蔵しています。なんとこの文字は信玄公の直筆であるとされ本陣の標識に立てられているので「大将旗」と言われています。もしかして、これまでこの旗を意識してみていなかった方もいるかもしれません。今年は本陣を探す目印としてください。
そうそう、皆さん、武田家の家紋というと武田菱を思い浮かべるかと思います。信玄公祭りでもあちらこちらに見かけます。
実はもう一つ家紋があります。「花菱」です。
なぜ武田菱と花菱か。
「日の丸の御旗」とともに武田家の神宝とされている「楯無鎧」。 永承5(1050)年、前九年の役のとき、武田家の始祖新羅三郎義光の父源頼義が奥州・安倍氏の平定を住吉社に祈願しました。その際、頼義は神託によって小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい)を拝領しましたが、これこそが「楯無鎧」です。
(菅田天神社所蔵 写真は山梨県HPより)
この楯無鎧に割菱と花菱の文様がありました。楯無の鎧とは矢や刀を防ぐのに楯が要らないほど頑丈に作られているという鎧のことです。その鎧を彩る紋様が由来です。
この武田家の総領に代々伝わる楯無の鎧の紋様こそが武田の印ということです。
こちらの「花菱の馬標旗」
(雲峰寺所蔵 写真は【戦国の世を駆け抜けた名将武田信玄と軍師山本勘助「風林火山」】より)
一枚目の写真にも本陣にひらめいていますが、この花菱の旗は信玄公が出陣の際、馬前に掲げられました。赤字に黒の花菱が3っつ縦に並べられています。3つという数字には何か意味があるのでしょうか?
そして、皆さまご存知、こちら「風林火山の旗」です。本物は甲州市塩山、雲峰寺蔵です。
(雲峰寺所蔵 写真は【戦国の世を駆け抜けた名将武田信玄と軍師山本勘助「風林火山」】より)
山梨県民にはなじみの旗ですね。風林火山は大河ドラマのタイトルにもなりましたし全国的な認知はあるかと思います。
正式には「孫子の旗」「孫子四如の旗」。古代中国「孫子の兵法書」から用いられていることはあまりにも有名です。
其疾如風
其徐如林侵掠
侵掠如火
不動如山
軍旗は、「其」を略して「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」の14文字が書かれています。
そしてこの孫子の兵法には続きがあります。
難知如陰
動如雷霆
知り難きこと陰(かげ)の如くは、味方の戦略は暗闇の中のように敵に知られないようにし、
動くこと雷震(らいしん)の如しは、兵を動かすときは雷のように激しくなければならない
という意味です。やっぱりペラペラと手の内を話しちゃうのはいけないってことですよね!
なぜ「陰」「雷震」を抜いたか。それは不明です。ただ、「風林火山陰雷震(ふうりんかざんいんらいしん)」ではなく「風林火山(ふうりんかざん)」だったからここまで日本国中の人が知るところになったと思うと、信玄公の戦略も今の時代までに効果があるということですね。
すらすらと
「はやきこと風のごとく
しずかなること林のごとく
しんりゃくすること火のごとく
うごかざること山のごとし
続きがあるんだよ、
しりがたきこと陰のごとく
うごくこと雷震のごとし」
と唱えられたら、信玄公祭りのもう一つのうんちくになるかと思います。
是非皆さま、信玄公祭り、本陣要チェックです!
本陣の旗の意味を知ると、500年の証を知ることにもなります。
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