大相撲初場所。
甲府出身の力士、竜電(高田川部屋)が10勝5敗で新入幕場所を終え、三賞の一つ、敢闘賞を受賞しました!!
インタビューでも地元山梨のという言葉が出てきて、やっぱり、そんな場面でその言葉を聞くとグッときますね。
三賞は横綱や大関以外の本場所で活躍した力士に与えられる賞で、殊勝賞、技能賞、敢闘賞の3つの賞があります。その一つ、敢闘賞は敢闘精神あふれる相撲を見せた力士に送られるものです。竜電が今回目標にしていたのが三賞の受賞。竜電が勝つたびに、おっ!おおおっ!とワクワクしました。郷土の力士が勝つととてもうれしい!!!
竜電は「甲府大使」にもなっていただいてます。
甲府大使制度は、様々な分野で活躍している方を通じて、本市に関する情報を発信することにより、本市の魅力を広くPRし、本市のイメージアップ及びスポーツ、産業、観光、文化等の振興を図ることを目的としています。 すでに一定の活躍実績・知名度がある方や、今後の活躍が期待される方に甲府大使を委嘱することで、甲府市と相互に応援しあう継続的な関係を構築していくことも目的としています。
大きな手。その手でどんどん押し出してください。
市役所一階にある甲府大使を紹介するコーナーでも竜電特集しています!
実は数年前大相撲富士山場所で初めて見かけたとき、甲府出身とは知らず「とてもきれいな力士がいる!!」と思わず追いかけて写真を撮りました。
竜電の魅力は端正な顔立ちと優しさがにじみ出るその佇まいだとも思います
久しぶりに、きれいだなーと思える力士に会えました。
竜電が獲った三賞をこれまでに獲得している甲府出身の力士は二人。
1960年―70年代に活躍した富士錦(殊勝2回・技能1回・敢闘3回)、70年代から80年代の富士桜(殊勝2回・技能3回・3回)の二力士。甲府出身力士の三賞受賞は富士桜の受賞から35年ぶりなんだそうです。特に、富士櫻の取り組みは昭和天皇のお好みだったそうで、天覧試合の時は身を乗り出しご覧になられたといわれています。
親と話していると富士桜がね、富士錦がね、と、名前が出てきます。
さて、ここは御崎神社。甲府市美咲にある神社です。
そばに住んでいた太宰治が、写真のようにこの境内の木の下の石に腰かけ、なにやら物思いにふけっていたという神社として有名です。
御崎神社はもとは石和にあり武田家の崇敬を受けていました。武田信虎公が躑躅が崎に館を移した時に三の郭内であるこの地に御崎神社も移し神殿を建立したという甲府の開府と密接な神社です。
武田滅亡の際に焼失しましたが、甲府城が築城されてから再び甲府城乾方の守護神として再建されたという神社です。御崎明神とも、おみさきさんともいわれています。
去年の秋。この神社へ行きました。その時、普段は見ることのない、社殿裏に気まぐれに回ってみました。
そこにはブランコやジャングルジム、滑り台があって、地元の子供たちの遊び場だなーなんて思っていたんです。でもそこに気になるちょっと小高くなっている部分があって・・・
よく見るとそれは土俵でした。
地元のちびっこ相撲か何かに使われているのかな??
なんて思っていましたけれど、調べてみてこりゃまたびっくり!
こちらは「甲斐国誌」の御崎明神の欄。ピンクのところに
「武田家以来ノ旧例ニテ社頭ニ角力アリ天正十四年八月十六日神祖御社参アリテ角力ヲ御覧セラル是ㇾヨリ以来儀式厳重ニナリ官ヨリ警固ヲ命ゼラル九月十九日新嘗祭以上大神事ト称ス・・・」
神祖とは、江戸時代においては徳川家康の尊称。家康が甲斐国の巡視の際御崎神社を参拝、ここで御崎大相撲を上覧されたのです。そしてその後、甲斐国三相撲として続いたとのこと。
この何気ない土俵にそんな歴史が隠されていたとは・・・
国技・相撲の歴史の一ページに甲府があったのですね。
実際、御崎神社の土俵は素人が相撲をしていたそうですし、様々な相撲興業が行われていたそうですよ。
竜電は江戸時代に活躍して相撲史上最強と言われた「雷電」からその名をとったという事。
天下無双にあやかって、これからの竜電の活躍をこの御崎神社にお願いに行ってこようかなと思います。
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