名誉市民と女性と、甲府大会


凛とした佇まいのこちらの女性


名前はキャサリン・マーサ・グリンバンク。

1891(明治24)年11月21日、カナダ生まれ。

この女性が甲府市名誉市民であることをご存知ですか?



甲府市名誉市民となっているのは1889年の甲府市制施行から130年の間に3名だけ。

市政の振興と地方文化の向上に努めた第18代甲府市長の斎木逸造さん、学校教育、社会福祉、特に老人施設の建設に寄与し甲府市の繁栄に心を寄せた平林庫造さん、そして、もう一人がこのグリンバンクさんなのです。



「大正9年に来日し、大正15年から昭和17年まで山梨英和女学校長を務め、22年には山梨英和学院英語科教師、24年から26年まで甲府一高の語学教師も務める。外国人として、多年本市の女子教育に尽された功績により」昭和32年10月名誉市民となりました。(甲府市HPより)


こちらは帰国時に鷹野啓次郎甲府市長がお別れ会を開催した様子が書かれた当時の新聞記事です。昭和33年のことです。


「八日午後4時12分甲府駅発の列車でたつ」と、記されるというのにも驚きます。それほどの功績をのこし山梨県民に親しまれていたということが伝わります。



グリンバンクさんは大正時代に来日し、昭和18年、第2次世界大戦のさなか、最後の交換船で強制帰国。カナダに戻ってからはあちらで抑留されている日本人の救済や日系2世の教育などに尽力し、終戦後の昭和22年、戦争という悲しい出来事があっても、再びこの甲府の地にやってきています。

戦後の余燼くすぶる甲府の地で為政者である進駐軍と山梨県民の権利のために渡り合い、戦争未亡人の「葡萄の枝の会」を発足させたり、英語クラス、近所会、子供たちや病気で苦しむ方々、生活困窮者への物心両面での援助等をされたそうです。

戦火で焼け出され、愛する人を失いどん底にいる甲府市民に心を寄せ、手を取ってくれたのです。


昭和61年には当時の原忠三甲府市長が太田町の遊亀公園に建立したグリンバンク女史顕彰碑には、占領下の甲府で復興のため、教育のため、福祉のために尽力した彼女の功績が記されています。


「社会に出る事、教育を受ける事」

今当たり前になっている女性の選択肢が、大正から昭和にかけて、どうだったのでしょうか。

遠い、カナダという国から来た方が、甲府の子女に新しい価値観を与えたのでしょうか。今となっては伝え聞くことしかできませんが、その功績は名誉市民として今も名を残している事実から想像できます。


教鞭をとった山梨英和。創立は甲府の市制施行と同じ明治22年。甲府市と同じ時代をです。

山梨県立図書館で開催さている創立130年を記念する展示会には明治、大正、昭和という時代に女性が学ぶこと、女性が社会に出ること、そうしたことが一つの学校を通してわかる展示になっています。学校の歴史だけでなく、甲府、山梨の教育の歴史を築いた方々のことも。

明治に始まった女子の教育や、男女同権への動き。

大正、昭和を経てこの令和という時代は当たり前にしないといけません。


2021年に甲府市で「日本女性会議」が開かれます。

日本女性会議とは…
国連総会の理念である「平等・開発・平和」の基に定めた国連婦人の10年を記念し、1984年(昭和59年)に第一回大会が名古屋市で開催されて以来、男女平等参画社会の実現に向けた課題の解決策を探ると共に、参加者相互の交流の促進や情報のネットワーク化を図ることを目的として開催されてきました。
この目的を基本理念とし、開催都市ごとに大会テーマやスローガンを掲げ、男女共同参画社会の実現を目指して活動している方々が集結します。


甲府なでしこプラスという女性の活躍を応援するサイトも作っています。こちらで日本女性会議2021in甲府についてアップしていきますのでご覧ください。


令和という時代、女性はどんな活躍をするのでしょうか。

甲府には自らの人生をかけて人のために尽くした女性の名誉市民がいる事を知り誇りに思います。


今を生きて社会で頑張っていられるのも先人がいるからという事を忘れないようにしたいです。

日々LadyLike(レディーにふさわしい)働きをしながら、社会に役立つ人間になれればなーと思います。


KOFU500 Heritaging

2019年に500歳のお誕生日を迎える甲府のまち。 歴史と今をこうふコンシェルジュが勉強していくっていうページ。 「こうふ開府500年公式ホームページ」のこれは影武者サイトです♪ なかなかない機会なのでこの際、いろいろ楽しみたいなーって思っています!一緒にいかがですか? 甲府にある味わい深い、建物や場所、時代を超えて価値あるものを紹介します!歴史の事でない、「今」ももちろん!